【二宮くらし①】~吾妻山の景色に導かれて、パン職人・山下雄作さん~
春の吾妻山。
一面に広がる菜の花と、その先に見える海。
その風景に心を動かされ、二宮町へ移り住んだ一人のパン職人がいます。
店をつくる前に、「暮らす場所」として二宮を選んだ人。
ブーランジェリーヤマシタ店主・山下雄作さんに、
二宮での暮らしと、ここで営む理由を聞きました。
すべての始まりは、あの菜の花の景色だった

宮戸
二宮町に引っ越してきたきっかけを教えてください。
山下さん
神奈川県内で、本当に静かに暮らせる場所を探していました。地図を開いて、緑の多いエリアを一つずつ見ていって。宮ヶ瀬の方も見たりしましたね。
宮戸
茅ヶ崎に住んでいたんですよね?
山下さん
そうです。いくつか候補を見ていく中で、二宮に来たのがちょうど菜の花の季節で。
吾妻山に登ったとき、「この景色、すごいな」と思って。
この風景がある町に住めるって、素晴らしいなと感じました。
それと、震災直後だったことも大きいですね。沿岸から離れる人も多い中で、逆に海の近くで、
地球の鼓動みたいなものを感じながら暮らしたいと思った。二宮は海沿いだけど標高もある。そのバランスもよかったです。
宮戸
最初は海沿いのマンションでしたよね。
山下さん
そうですね。あと、ある不動産会社の店長のブログを読んでいて、たまたま誕生日が一緒だったんです。それで縁を感じて。
宮戸
それ、私ですね(笑)
山下さん
そういう偶然って、結構必然だと思うんですよね。
店をつくる前に、暮らしを決めた

宮戸
二宮に来てすぐ、「パン屋をやりたい」とおっしゃっていましたよね。
山下さん
パン屋として生きていくことは決めていました。あとは「どこでやるか」。
まずは暮らす場所として二宮を選びました。
当時はまだ自信もなかったし、大きくやるつもりもなかった。小さく、丁寧に商売ができればいいと思っていました。
そんな中で、この建物を見つけて。
宮戸
長く放置されていた空き家で、「ここでパン屋をやりたい」と言われたときは、正直「正気か?」と心配でした(笑)

(空き家だった頃の店舗↑)
山下さん
着手してからオープンまで、2年くらいかかりましたね。大家さんが寛大に見てくれて、本当に助けられましたし、心底感謝しています。大家さんの存在なくしては出来なかった店だと思っています。
宮戸
オープンしてからは一気に認知が広がり、行列が絶えない店に。
この町の空き家にも可能性があると、私はこの店から教えてもらいました。
山下さん
自分としては、街を盛り上げようという意識は全くなくて。ただ必死でした。
コンパクトなのに、ちゃんと豊かな町

宮戸
二宮町の好きなところは?
山下さん
この小さな町の中に、吾妻山を中心とした豊かな自然があること。海も近くて、緑も多い。
コンパクトなのに利便性も高くて、都市部へのアクセスもいい。
あと、人が温かいですね。子どもたちも子どもらしくて、自分の子どももこういう町で育ってほしいと思えました。
宮戸
不便だと感じることはありますか?
山下さん
ないですね。ありますか?
宮戸
私は外食派なので、飲食店の選択肢がもう少しあると良いなと思います。
山下さん
それは、町の規模を考えると自然なこと。
商売として見ると、特に飲食は簡単ではない環境です。
暮らしの延長で飲食店をやろうとすると、思っている以上に厳しい面もあると思います。
宮戸
確かにそうですね。実際にやっている方の言葉として、すごくリアルだと思います。
暮らしの良さと、商売として成り立つことは別の話なんだなと感じます。
営みと、休息のバランス

宮戸
普段の一日の流れは?
山下さん
3時に起きて、3時半には店へ。午後2時まで仕事をして、2時から4時は休憩。そこからまた6時過ぎまで働いて、9時半には寝ます。
宮戸
休日は?
山下さん
箱根の温泉によく行きますね。箱根が近いのは大きな魅力です。平日休みで箱根に行けるのは本当にありがたい。
宮戸
箱根の温泉は天山が好きみたいですね?
山下さん
天山好きっていうか、もうそこ以外行かない(笑)。
回数券みたいな木札を持っていて。天山歴 10年以上。
あとは吾妻山に登ったり、梅沢海岸で波の音を聞いたり。たまに静岡方面にドライブしたりしています。それだけでも十分リフレッシュになります。
素朴な生地で、食べてもらいたい

宮戸
パン作りで大切にしていることは?
山下さん
丁寧に作ることですね。あまり細かいことではなくて、根底には「素朴でありたい」という思いがあります。
見た目は必ずしも素朴に見えないかもしれないんですけど、ベースはあくまでシンプルな生地。
粉・塩・水・酵母といった基本の材料で、そのまま食べてもらいたいと思っています。
その結果としてハード系のパンが中心にはなっています。
食パンなど、生地をふんわりさせるために砂糖やバターを加えているパンもありますが、添加物などは一切使用していません。
ただ、材料にこだわりすぎて価格が高くなりすぎてしまうのも望んでいることではないので、そのバランスには常に気を配っています。
あくまでシンプルな生地で勝負したい、という感覚ですね。
宮戸
余計なものを加えないというのは、ある意味でごまかしがきかないですよね。
山下さん
そうですね。すごく正直に出ると思います。
だからこそ難しさもあるんですけど、その分、ちゃんと作ればちゃんと伝わるとも思っています。
派手さはないけど、食べていくうちに「あ、いいな」と感じてもらえるような、そういうパンを作りたいですね。
パンだけじゃない、“体験”としての店

宮戸
パンそのものだけでなく、この場所で過ごす時間ごと記憶に残るというか。
実際、遠方から来るお客様も多くて、「二宮に来たらここに寄る」という存在になっていますよね。
空間づくりについても、かなり意識されているんですか?
山下さん
そうですね。パン作りと同じくらい、「店という場所」を大切にしています。
この空間で過ごした時間ごと、記憶に残ってほしいと思っているので。
空間づくりもすごく大事にしていて、もともとインテリア業界にいたこともあり、家具や空間の質にはこだわっています。
たとえば店内の椅子は、60年代のデンマークのヴィンテージなんです。
どこにあっても恥ずかしくない、本物の空間であることを意識しています。
やっぱり本物であることって、人の心に届くと思うんですよね。
広げることより、続けること

宮戸
将来のビジョンはありますか?
山下さん
特にないですね。
この時代、何が起きるかわからないですし、無理に広げたいとも思わない。
この店の濃度を保ちながら、続けていくことの方が大事だと思っています。
もし広がるとしたら、それは計画ではなく、出会いの中から自然に生まれるものだと思います。
宮戸
あえて広げない、という選択なんですね。
山下さん
そうですね。広げてしまうと、どうしても薄まってしまう部分が出てくると思うんです。
この場所でしか出せない空気や質みたいなものを大事にしたいので、今はそれを守ることの方が大切かなと。
いい暮らしの先に、いい店がある。

店をつくることから始まったのではなく、
「どう暮らすか」から始まった場所。
だからこそ、この店には無理がなく、
空気のようにこの町に馴染んでいるのかもしれません。
二宮での暮らしは、特別な何かがあるわけではない。
けれど、確かに“ちょうどいい豊かさ”がある。
そのことを、このパン屋が静かに教えてくれました。
Photo:写真館じゅんじゅん
ブーランジェリーヤマシタ
Boulangerie Yamashita
この町を訪れたら、ぜひ立ち寄ってほしい場所のひとつ。
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